マンガ鬼滅の刃に登場するキャラクター「栗花落 カナヲ」さん。
誕生日は 5月19日です。
実は、生まれた日ではなく 本当の日付がわからないため、カナエとしのぶに出会った日にしている。
遅れましたが、誕生日おめでとうございます!
カナヲさんの姓「栗花落」の意味は、栗の花が落ちる頃という意味で 梅雨の言葉が伝わる前の 梅雨時期を表す言葉です。
詳しくは 2020年ブログ6月11日 梅雨と「栗花落」。
ちなみに、【名字】栗花落
【読み】つゆ,つゆり,つゆいり,つゆおち
【全国順位】 42,276位
【全国人数】 およそ60人
五月七日と何らかの関係があるとも言われる。
現大阪府北部と兵庫県の一部である摂津国八部郡原野邑の名家、古代の氏族であり、物部の伴造(とものみやつこ)として軍事、刑罰を担当した物部氏族。近年、兵庫県神戸市に多数みられる。
また、次のような非常に面白い昔話がある。
昔あるところに、水無瀬殿(みなせどの)という大臣(おとど)がいた。彼は露姫という摂津国第一の美女を娶ったが、露姫は一年も経たぬうちに亡くなった。
大臣は悲しみのあまり、庭先に一宇(いちう)の堂を建て、妻の霊を祀った…。栗の花の落ちる頃なので、露姫の代りに栗花落姫と当てた。妻の遺言により堂脇に井戸を掘り、朝夕、水を汲んでは飲んだ。
水はどんな時でも涸れることはなく、飢饉が襲った時も、天候に恵まれずあちこちの井戸が涸れてもこの栗花落の井戸は涸れなかったという。評判になり、水をもらいに来る者も出た。堂宇はいつの間にか栗花落(つゆり)神社と呼ばれるようになり、霊水は雨乞いの呼び水として知られるようになったという。
そして旧暦五月七日に栗花落祭りという雨乞いの祭りを行うので、この読み方になったという。
■ 森の伝説
||||| 栗花の森 |||||
この都由乃町には、白滝姫をまつる祠のある森があり、栗花の森といっています。
天平宝字八年(764)丹生山田荘の郡司・山田左衛門尉真勝は、右大臣藤原豊成の次女白滝姫に恋をした。二人の恋は帝の耳まで達し、仲をとりもち夫婦にされた。
真勝が白滝姫を連れて山田の里に帰る途中、石井村の北にあるこの森で休んだ。その頃は梅雨時であったが日照りが続き、村人たちが水不足に困っているのを聞いた姫が、手にした杖で地面を突くと清水が湧き出した。村人は大変喜び、のちに姫をこの森に祀り、栗花の森と呼ぶようになったという。
こんないい伝えから大正六年に現在のような町名ができました。
この森の南の東西への道は、鵯越を経て山田へ行く古道でした。森には、昭和四十八年神戸市が保護樹木に選定した大きな榎がニ本あります。
||||| 栗花落の井戸 |||||
奈良時代の末、淳仁天皇のとき、丹生山田生まれの山田左衛門尉真勝という人が朝廷に仕えていました。
ある日、真勝は左大臣藤原豊成の次女の白滝姫の姿を一目みて、たちまち姫が好きになってしまいました。豊成には長女として中将姫と白滝姫とは賢さと美しさで、都のうわさの人でした。
水無月の稲葉の末もこがれるに 山田に落ちよ白滝の水
この歌に対して、白滝姫は次のような歌を返しました。
雲だにもかからぬ峯の白滝を さのみぞ恋ひな山田男の子よ
真勝はまじめな人でしたので、天皇はその人柄につね日頃から感心しておられました。
この二人の歌のやりとりをお知りになった天皇は、なんとかして真勝の思いをとげさせてやろうと、自らその仲立ちに立たれました。
そして、白滝姫を説得してこの二人を夫婦になさいました。真勝は喜び勇んで白滝姫を山田の里へつれ帰りました。
白滝姫は都の高貴な生活から一度に田舎のひなびた土地に来たために、生活になじめず心のうかぬ日がつづきました。そうしているうちに一人の男の子が生まれました。しかし、白滝姫の気持ちは変わりませんでした。
三年の歳月がたち、白滝姫は病の為にとうとう亡くなってしまいました。
真勝は悲しみにくれました。姫の霊をなぐさめようと、屋敷の内に姫をまつる弁財天の社を建てました。この社の前に池を掘りましたが、この池に毎年の梅雨の季節には清水が湧き出て、日照りの時でも涸れることがありませんでした。
村の人々は、この清水によってうるおいました。これは白滝姫の霊威によるものだとして、人々は、この清水を「栗花落の井戸」とよび、白滝姫をしのびました。栗の花が落ちる季節が梅雨なので、「栗花落」で「つゆ」とよませたといいます。
※参考
2012/6/15「墜栗花(ついり) 日テレ「すっきり」藤富予報士のお話」
Wikipedia
今日の天気は、雨のち曇り
最高気温 笠間市24℃。
コロナが早く落ち着きますよう願をかけて 100日毎日ブログを書いて見ることにしました。今日で14日目。
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カナヲだいすきクラブ (日曜日, 03 10月 2021 12:45)
カナヲかわいいかわいいかわいい